昭和42年04月07日 朝の御理解



 信心をさせて貰って、おかげを受けると云う事は、小さい事柄とか、大きい事柄とか、重大な問題とか、又はそうでもなく、見える問題とかと云った様なものが、違うと云う事はない。みんな同じである。信心しておかげを受けると云う事は、そう云う事なんです。ところが、その問題が大きかったり、複雑な事であったり致しますと、複雑さに幻惑される、迷わされる。
 事が大きかったり、重大であったりすると、それをその思いとか、複雑であると云う事に、心が迷うてしもうて、その問題だけに、本当の信心を取り失うてしまう、と云う様な結果になりがちでございます。神様は、この位のおかげは下さる事が出来るんだけど。例えて云うなら、一寸真四角のおかげは下さる事は出来るんだけれども。一尺真四角にもなる様なおかげは、下さる事が出来ないと云った様な事はないのです。
 ちょっと、風邪でもひいたら、ご神米で、おかげ頂くけれど、少しその病気の根本が判らないと、どっから、この熱は出とるとじゃろうかと、云った様な事になって来るとです。ちょいとやっぱ医者に見て貰うとかんと安心がいかん。そんな事がある筈がない。私はいつもここで、病人のお取次をさせて貰う時にです。実はこんな訳であんな訳でとその病気の名前やら、病気の状態やら話されます。私は医者じゃなかから、そげな詳しい事聞いたっちゃ判らんと私は申します。
問題はおかげ受けりゃよかっちゃろうがと。私には云うて聞かせて私があんた処方箋を書く訳じゃなし。私が脈をとってあげる訳じゃなし。ですから私にそんな事云うたっちゃでけん。頭が痛いなら頭が痛い腹が痛いなら腹が痛い。それで結構なんだそしておかげを頂かして頂きたいと云う、そのお取次ぎさして貰えばそれでいいのだと、云う風に申しますけれどもです。
 やはりそれがちょっと、病気がひどい様に見えたり致しますと、そのひどいと云う事に惑わされる訳なんですねえ、そしてさあどうしようかとそのひどいという事に、迷わされる訳なんですね。そしてさぁどうしようかといった様にうろたえる。さぁどれから手をつけて良いやら判らんと云う様にです。複雑な問題になって来ると呆然としてしまうのです。それではおかげは受けられんのですね。
 夕べ御祈念がすみましてから、やんがて十二時も過ぎておりましたでしょうか。色々福岡の秋永先生達が五、六人残って、色々と話合いがございましたり、又は実際準備の事を一つずつでも片付けていこうとして、昨日はもう繁雄さん休まれたのが何時でしたですかね。一時から二時頃までですね。それからまた一時間位ございました。頃まで私もお付合さして頂いてから起きとりましたが、その中でですたい。
 こんな話が出てそこにお米が一俵お供え来てるですね。あらもうお供えが来とるばいなちゅう事からでした。いつも例えばこれが記念祭ともなりましたり致しますとですね。十日も十五日、いわゆる一月ぐらい前からですね。お米のお供えさして頂きたいとか、こげなお供えさして頂きたいと云う願いがあるです。そして実は私はこういうお供えをさして頂きたいと思うから、どうぞお繰り合わせ頂きます様にと云う様な。
 又は町の方達なんかは、お米のお供えしたいけれども出来ませんから、お金をお託してどっか近所で買うて頂く様にとか、と云うのがもう十日も前になりますと、大体お供えのそれが終わっておる位です。ところが今年は誰んそのこげなお供えをさせて頂きたいとも云わなければ、どうぞこう云うお供えをさして頂きたいから、万事にお繰り合わせ頂きます様にと云う願いもせんが。
 今度ばっかりは不思議なこっちゃあると云うて話した事でございました。それがどういう様な事から来とるのだろうかと……、私はそんな事を最後の御祈念の時に、ほんに今年はやっぱりあの、御造営とか準備とかと云うその後でございますから。その紛れてしまっておると云うのか、どこから手をつけて良いのか判らない。もう一つ問題がある。昨日親教会から御本部参拝の旅費を持って来る様にと云う事であった。
 だからみんな集まっていませんから立て替えましてから持って行った。何時も、春秋の大祭といやあ、やっぱり五十人から六十人かはあるのです。今年はだぁれも申し込まん不思議な事じゃある。荒々申し込んでると集めてまぁ十名足らずであろう。それとてもまぁ旅費を持って来とると云う訳でもない。皆さんご承知の様にこれは人員は一名欠けても、多すぎても困るのです。
 その為にも一ケ月前から、その事に準備がしてあるのですけれどね。そう云う様な事がです、どうして椛目の信者さん達が不熱心だからと云う事じゃないのだけれども。どうしてそう云う事になるのであろうかと、こう私は思うて見たら、ご神前に御祈中に頂いたのですね。自転車にもう前のハンドルが上に上がる位に、沢山の荷物を積んでおるんですよね。それをその、荷物をおろしてる。降ろしておるけれどもです。
 まあだ乗っておる様な気持ちで少し坂道の所をまあだ乗って居る様な気持ちで、一生懸命こう自転車に乗りもせずに、押して行きよる所をご心眼に頂くんです。皆さんどう云う様な事だと思うですか。二年間掛りで言わばこの御造営、御造営と云う問題はそれこそ私共の力に負えない程のです。云わば自転車に大きな荷物をハンドルが上に上がる程の、大きな私は問題であり御用であったと思うのです。
 ところが御造営は形の上に於いては済んだ。済んだから済んだけれどもですね。まあだ荷物を下ろした様なものなんです。まあだ荷物は有るんです有るのは。けども荷物は一応おろしておるのです。形はこうして成就しておるのである。それをまあだですね後ろにその荷物を乗せておる様な肩の重みと云う様なものをです。皆が感じておるからだとこう思います。次には、今度は、人力車をです、引っ張っている。
 ところがちょうどそこにあの、お広前の周囲に犬走りと云うのが出来ておるでしょう。雨垂れの落ちるところにこうずっとこうバラスがしてある、コンクリートが、このくらいの溝があるでしょう。あの位ばかりの溝にですね。人力車の輪が落ち込んでおる訳なんです。それをこうやって一生懸命引きよる。そすとそこに引っ掛っておるのだから、なかなか車が上がらんでおる。
 一寸やめて後ろの方を抱えてこう上げたら、そんなに重たいもんじゃないからね、すぐ上がる所を、引っ掛かってっている所を一生懸命、こうやって引きよる所を頂いた。ははぁこの様な事が気分の上にです、気分の上にすっきりおかげ受けていないんだな。はあ大事だ大事だと大変だ大変だと。はぁちょいと大変な事であると云う様な事だけにですね。そう云う事になっておるんじゃなかろうか。
 そりゃもう、私どんがせんでん誰かどうかして、おっせがっせなんとかかんとかなるじゃろうと云った様なものでは、やはりいけない。一人一人が持ち場立場に於いてです。その事をほんとにこうなして行かなきゃいけん。そこで総代さんこの事は、問題はお願いしますよ。「はい」と云うて帰ると、今度総代さんが次の日、ほらこの事ばいっちょしとかないかんばい。
 例えば総代さんが、壮年部の人に言いよる。壮年部の人が青年会の方達に、こりゃあんたどんがどうぞしといて下さいよ。んにゃこんくらいな事は学生会でよかろう。ほんなら学生会にお願いしようと云う様なですね、事ではです一つの事柄が幾つも幾つも重なって、しかも複雑になって片付かんのです。この問題も総代さんに云われたのなら総代さんが片付けたら良いのですよ。
 一人で自分が云われた者が。それはこれは何々にかからにゃいくまい、これは何々で良かろうと云うてやるものだから、次々になってしまうと云った様な事があるです。昨日はおかげ頂ましてから、竹内先生のご案内で、伊万里有田の陶器を会席を五十人前、おかげで大変神ながらなおかげ頂いて帰って参りました。前々からそんな事が竹内先生にお願いしてございましたから、あちらのご信者さん方。
 それから市役所の観光係の方、それから車もあちらの車を出されてから、わざわざ途中まで、迎えに来て頂くと云った様な事であった。こちらを八時に出発すると云う、こちらから電話を掛けておりますもんですから。ちゃんとその有田のじゃない、伊万里からずうっと手前のところまで、お迎えに出て頂いておったらしいです。ところが待てども待てども来ん。丁度一時間他の方達も三人連れで見えておりましたが。
 三人連れで待っておられたとこう言う。いやあどうも済みません。それで椛目のこちらの方から何人見えるであろうかと、電話が掛かっておった。準備の都合もあるからと。そこでそんなご準備はご心配要りませんよと、こちらからただもう物見遊山に行くのではございませんし、観光に行くのでもございませんから。そこんところの斡旋させて貰えば結構ですからという事であったし。
 又二度目にかかった時などは、秋永先生が出てもうどうぞご心配下さいますな、もう銘々こちら弁当持って行くのでございますから、どうぞ何にもご心配頂かん様にと云うて、わざわざ電話をかけた。それでもやっぱりお茶ぐらい沸かしときますから、皆さん寄って頂いてと云うので、あちらにお昼ともなってから、お昼をしに参りました。さあ愈々お食事、なるほど色々とお茶お茶菓子、さまざま用意してございました。
 お弁当持って来てござるだろうから、お汁だけぐらい炊いとこうと云うので、もうその色々してございました。愈々お弁当頂く段になったところが、その中の大半がお弁当持って来てない訳なんです。さあそれからああたもうちょいと、食べかかってから、大変な事です向こうとしては。もうあただに寿司屋に電話をかけるやら、何やらなさいました。ほんとに不様な事ですもんねえ。
 私はそう云う様な所がですね、私は椛目の方達には欠けておるんじゃないかと。もうほんとに竹内先生の場合なんかこの前もそげんでしたけれど、ちゃあんともう時間を云やです、もう途中半ばまでお迎えに出て頂いていたんです。ですからこちらから大体八時と云いよりましたけれども、一時間位は遅れそうですと云うて。ほんならここからすぐ電話でも掛けとったらですね。恐らくあんなに迷惑かけんで良かったんです。
 どうとかなろう何とかなろうと云った様なですね、甘い甘い考え方がそれがその位な問題だから良いのですけれども。こと、今度の落成式と云った様な大きな合楽としてはです、大きな事柄に取り組ませて頂く時にです。そう云う様な手違いや間違いが愈々、複雑になって行くのですよ。そして手にあわん様な事になって来るのですよ。日頃の実意丁寧の信心はどこへ持って行ったか。
 しかも私がその事について頂いております様にです。ご本部参拝においてしかり、さあ愈々落成式だと云う、そのほんならお供えならお供えの事についてしかりなのである。自分銘々がです人じゃないのだ。その事にお取次ぎを頂いてお願いをさして頂いて、その事を実意丁寧にです。さあ誰に渡すのじゃない、自分自身がそれを解決して行くところのおかげ頂いて行かなければいけない。
 同時になるほど大変な問題ですからです。自分達でいわゆる人力車であったり、自転車であったりと云うところにです。いわゆる神様のおかげと云うよりも自分の力で動こうとしておる。自転車と云うのは自分で転んで行く車と書いてある。人力車と云うのは人間の力で引っぱって行く車と云う事である。自分の力で引っ張って行こうと思いよる。自分が押して行こうと思いよる。それで出来るはずがない。
 どこまでもどこまでも、神様にお縋がりをさせて貰いお願いをさせて頂いて、只その御用にどうぞお使い回しを頂く様にと云う願い。お使い回しを頂たいと願うならばです、本気で改まらせても貰おう。いやこういう大きな願いをさして頂くのであるから、普通の事ではない。日頃出来なかった信心をです。普通お日参りが出来なかった人は、お日参りを始める。朝参り出来なかった人は、朝参りを始める。
 日頃どこか修行でもしたいと思うておって、出来なかったならばその修行に本気に取り組むと云うです。手元足元のところをですね、私は本気で神様に打ち向かわせて頂くところにです。神様の働きもあろう私共がやむに止まれん思いで、おかげを受けたい御用をさせて頂たいと云う、それとこれとがあいまってです、見事なお繰り合わせにタイミングの良いおかげが頂けて来る様になると云う風に思うのです。
 この位の問題ならば、お取次ぎ頂いてお願いをするのだけれど、少し問題が大きくなるとです、もう自分がせんならんごと自分が一人ひっかかろうとるごと思うとる。そしてほんなら会合なら会合の時に話し合って、さぁお弁当持ち寄りですよと。さぁご本部に参りますでもお弁当持って行きますよと、云うておってもです。さぁそこに持って行かなかったら食べさせん訳にいかんから。
 さあ皆さんお弁当持って来ていない方は、さぁ勝手に入って下さいなんて云わなければならない。だけではない勝手の人達はまた、ほんなら何人分御飯を炊かにゃならんと云った様ないらぁん手が、私は掛かって来るんだとこう思うのですよ。こりゃ椛目の今度の御造営の落成式とか、今度の春の大祭とか云うだけの事じゃありませんのです。諸々の事において同じ事なんです。
 ここに私はまあ云わば、十日間あるのでございますから、落成式まで。銘々が自分に手元足元のところの信心をです。本気で見極めさして頂いて、そしてその一事一事を実意丁寧になしていくところのおかげを蒙って行かなければならん。その事について私はまだ他にも色々頂いたんです。ほんとに微に入り細にわたってからです、まあ云うならばそれだけの一人一人の事についてから頂いたんです。
 これはこげな事じゃいかん。この人はこげな事だから 良いと云った様な意味の事まで、昨夜頂いたんです。ですからあんたこげんばいあんたこげんと、私が云うて悪い事ではないないのだけれどもです。云われる前に銘々がそこんところの信心に取り組んで行かなければならんのじゃなかろうかと。夕べももう十二時近くもうみんな帰ろうと云う事になりました。ところがその居間の方がかたずいていない事が判ったんです。
 あすこに額が来ておったけど、額もこれは大祭前になると、なかなか釘どん打ってから掛けると云うのじゃないですね。あの向こうのレンガに穴をほがさなきゃならんのですから。穴をほがすと云うのが、ドリルと云うですか。あの電気でギリギリーと云うてから、その金が折れるくらいに固いのです、レンガのあのレンガは。ですからそれをですね、皆んなでそのドリルを出してやっぱり一時間以上もかかってから、それを掛ける様にして帰られましたんです。
 もうよかよかもう遅かけんで、明日でよかじゃんのと云わずにです。気が付いたらもう帰ろうと云う段になっとったっちゃです。それをいっちょ片付けなければ帰らんと云うくらいのがあって、私は翌日の御用がスムーズに行くのじゃなかろうかと、こう思うのです。皆さんもう今の椛目の方達はですね、自分達の小さな問題にどん取り組んだら大変です。またそれじゃおかげは受けられんです。
 例えて云うなら堤さんなんかは、今選挙の事でもう大童大体云うたら。これも大事な事なんです。それでもやっぱ総代としての御用がありますから、昨日は親子で車を持ってあちらの方にも行かれた様にです。銘々がその事をですもう自分の事として、それをなされる時にです、その御用の働きと云うものをです、自分自身の力にならん筈がない。神の用を足せば、氏子の用は神が足してやると仰ると云う事はです。
 おかげを頂けると云うのじゃなくてそう云う力と徳が受けられると云う事なんです。植木屋が云いよります庭師が。早う献木があっとるなら、そればみんな集めて貰わなければ、もう時間も無いからと云うて、もうみんな青年会にもその学生会の方達も、ところが学生会は学生会で一生懸命御用があるて。学生会の方達はこの頃毎日毎日寝なしです。御用するのに新聞が間に合う様にという新聞の編集。
 ほんとにその持ち場立場の人がですね。ほんな事云うなら申しましょうが、自分の事ぐらいは一辺投げ打ってと云うところに、そこに私は我情我欲を離してとか、自分と云うものを離してとか云う事があるんだと。より自分というものを空しうするところにです。神様の働きが全面的に、私は十全に神様の働きを働きとして、頂く事が出来れる体験を得る事が出来るんじゃなかろうかと思うんですよ。
 銘々どうぞ日頃お道の信心は、実意丁寧神信心とこう云われておる様に、実意丁寧な神信心が、例え小さい事だけで現されるのじゃなくて。打って一丸となって現さなければならない時にです、それが漠然となる、誰かがしようと云うのじゃなくてです、銘々が私の立場持ち場を持って、一生懸命なったのが打って一丸になったのじゃなからなければ、打って一丸としての力にはならんのです。
 どうぞそこんところを、皆さんが了とされてどうぞ御大祭の事に、はぁもうちょいと大ごつじゃった、大変じゃったと云うておるのはもう大変な事はない、大ごっちゃないのです。大体が出来あがっとるのだから、だからそれを一辺荷物を下ろしておるのと同じなのだから。まあだその言葉に自分の肩にかかっとるごたる、云わば錯覚をして大ごと大ごとと、ばっかり云うて居る様な事はなかろうか。
 御本部参拝をさぁどうしようか、大ごっちゃけんと云わずにです。させて頂こうと云う人は、本当に早く申し込んで頂かないと、ここに立場が困っているんです。こうして皆さんに朝参りの方達の、一部の方達だけに申しております事は、これは申しておるのじゃない、それは御理解なんです。さぁ落成式の、お供えの事だん考えてござるなら、考えているだけじゃ。
 いつまでん頭の中が重かつ、もし考えておるなら、一日も早うお取次ぎを頂いて、どうぞその事が成就なります様にと云うて、お願いをさせて頂いて、十日の間でもいいじゃないですか、ちゃんとお供えばさせて頂いたら、その事だけでも、頭が軽うくなるでしょうが。私はお繰り合わせを頂いてから、そこんところの、おかげ頂いて行かなければならんと思うのです。
   どうぞ。